☆4040の本棚☆ 文庫とミステリに偏っている私的な読んだ本のおぼえ書きです。
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2008.10
30
(Thu)

「季節の記憶」 


保坂 和志
Amazonランキング:32820位
Amazonおすすめ度:



 あまり読むことのない雰囲気の本と出会った。
 大きな展開がないのだ。
 恋愛や不倫であるとか、病気や生と死とか人生の喜怒哀楽を揺さぶるビックウェーブもなければ、変なトラブルを巻き起こす人物が現れて引っ掻き回すとかいう喜劇もないし、悲劇もない。離婚して父と子が二人で暮らしているが、母親の不在についてなにか問題が起こるわけでも、親権を争ってどうこうとかいう問題も起こらない。

 とにかく穏やかな話なのである。

 舞台は鎌倉。主人公の中野は、コンビニ本などを執筆しながら、息子の圭太(クイちゃん)5歳と二人で暮らしている。どういう理由か分からないが離婚して、鎌倉に引っ越してきている。二人は近所の便利屋の松田さんと、その妹の美沙ちゃんとの交流が深く、一緒に晩御飯を食べたり、毎日のように散歩に出かけたりしてのんびり暮らしている。この大人3人は微妙に似た波長を持っており、生きることについて議論を交わしたりしている。
 たまに、ゲイの二階堂(失恋中)が遊びにきたり、3人にとっては異質な、人とのコネクションとやらを重視するナッチャンと、その娘で男性嫌いのつぼみちゃんとの交流が始まったり、和歌山に住む宗教を立ち上げるのが目標の豪快な友人・蝦乃木が電話をかけてきたりする。
 のんびりとした毎日、散歩の風景、息子と父親の成長を見守る温かい会話、そして人生を見つめる3人の会話。それが延々と続く、穏やかな日常の話だ。

 とくに事件が起こることはなく、哲学的な会話が多く、人が殺されるだとか、事件を解決するとか、そういう本ばかり読んでいるので(笑)、最初戸惑った。このゆるやかな話に色を添えているのが、息子のクイちゃんだ。 クイちゃんは保育園には通っていないが、なかなか面白い感性を持っており(父親と読者の贔屓目かもしれないが)、記憶力がよく宇宙の本をそらで唱えたりできる。クイちゃんが時間とは何かと問いかけ、それに中野が丁寧に答えたり、無邪気に遊んだり食べたりする様がほほえましい。
 中でも、保育園で字を習ったつぼみちゃんに馬鹿にされたクイちゃんに、字を覚えさせるかどうかで中野が苦悩する場面は印象的。保育園くらいで字がすでに書ける子が今は多いと思うが、中野は字を書くことはあまり早すぎると書くことが目的になってしまって、色々考える力がなくなるんじゃないかと思っている。1年後には小学校で字を習うことになるにも関わらず、ナントカしてぎりぎりまで字を覚えないでいいようにならないかと頭を悩ませるのである。まず「字」とは、「言葉」とは、「読む」とは、なんなのかというところから、丁寧にクイちゃんに教えることにする。こういうことから教えようとする親はほとんどいないだろう。字がない状態で物事を考えられるのが凄いといった、普段通り過ぎて着眼しない発見が、会話の中にたくさんちりばめられていて面白い。

 都心に近くて、家も人もたくさんいるけれど、海と自然がのびやかな雰囲気でよく描かれる鎌倉付近。九州と関西にしか住んだことがないが、鎌倉のような雰囲気ところはないと思う。どんな雰囲気なのかいったことがないので、一度見てみたいものだと思う。
 表紙のみどりのように、みずみずしくて、おだやかな、なにも起こらないのにじっくり読んでしまう不思議な話だった。

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2008.10
26
(Sun)



 せっかく書いたのに消してしまった・・・。がんばってもう一度書きます。

 続いて、深夜特急の第三便を読みました。第一便はまた今度!
デリーから乗り合いバスでロンドンを目指すために始まった、沢木氏の香港からの長い旅。第三便のこの巻では、トルコから、ギリシア、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルを経て、ロンドンへ向かう、旅の終盤が描かれている。
 トルコでは、日本から頼まれたものを渡すために、亡くなった画家の愛人に会いにいく。ギリシアではヨーロッパと旅の終わりを感じ、ローマでは今度は先の画家の未亡人と出会う。フランスから、寄り道で南ヨーロッパを訪れ、ポルトガルで最果ての岬に立つ。

 旅をはじめて1年を超え、沢木氏の旅への感じ方がどんどん変わってきている。それは、アジアから次第にヨーロッパの国や文化に入り、国の違いによるものだけではなさそうである。長く旅を経験してきたおかげで、新しいものに触れる喜びや好奇心が薄れ、これまで経てきた国や経験を思い出してしまうのである。旅の始まりが青年期であるとすれば、もう、壮年や老齢期といったところだと感じている。ヨーロッパが迫り、どこかで旅を終えなくてはいけない、終えたくない、終えるのが怖い、でも終えなくてはいけない。そういう漠然とした不安や焦りが見えてくる。
 放浪のたびを続ける沢木氏の心境や、物価も高く、観光地としても名高いヨーロッパという別の文化圏に入っていく雰囲気が、混沌としたアジアが終わり、旅の終わりという寂しい感じを呼び起こすところが面白い。
 
 おもしろかったのが、アジアとヨーロッパの境界を「お茶」で捉えているところ。アジアの各地では、いたるところでチャイを飲むことができ、「茶」「チャ」「チャイ」と、「C」で始まる呼び方をしている。ところが、ヨーロッパでは茶ではなく珈琲を飲む。そして、紅茶は「ティー」「テー」など「T」で始まる呼び方をされているのだ。トルコまでは入れるもの、飲み方は違えどチャイが売られ、振舞われていたが、ギリシアに入ると、珈琲や「ティー」の国々になってしまう。この考え方では、トルコまでがアジアなのである。 ところが、ポルトガル語で紅茶が「CHA」(シャ)ということが、果ての岬サグレスを訪れたときに分かる。なかなか面白い邂逅である。
 チャイはインド料理店で出されたことがあるが、牛乳が入っているため私には飲むことができない。旅ができないなと思う大きな理由は、好き嫌いがひどいところにもあることは間違いない。

第13章 使者として (トルコ)
第14章 客人志願 (ギリシャ)
第15章 絹と酒 (地中海からの手紙)
第16章 ローマの休日 (南ヨーロッパⅠ)=(イタリア・バチカン・モナコ・フランス)
第17章 果ての岬 (南ヨーロッパⅡ)=(スペイン・ポルトガル)
第18章 飛光よ、飛光よ (終結)=(パリ、そしてロンドン。そして・・・?)
2008.10
23
(Thu)


沢木 耕太郎
Amazonランキング:11963位
Amazonおすすめ度:



 読む本の選定に本当に脈略がないのですが、思い立って「深夜特急」を図書館で借りた。
沢木耕太郎氏が1970年代前半に、香港、マカオ、タイ、マレーシア、シンガポールを経て、デリーに入り、バスでロンドンを目指した旅の紀行文である。今で言う「バックパッカー」の旅といえる。
 
 アジアへ旅する、それもバックパッカーの旅行記はなにか惹かれるものがある。
 ここには、国、人、旅という3つのおもしろさがある。
 自分が体験できないことだからかもしれない。
 日本とは全く違う文化や、食を知る楽しさだけではなく、その国の重い歴史、貧しさや、そこからくる人間性の違いに驚かされる。活気と混沌がないまぜになっていて、濃厚なのだ。そして、旅人自身の現状や未来に対する葛藤なども現れてくるから、とても人間臭い読み物である。 はじめて読んだのは深夜特急1で、次に読んだのは小林紀晴さんの本だったか。昔から中国やチベットに興味を持っていた時期もあったにもかかわらず、実際に行ってみたいという気は起こらない。旅自体が快適とは程遠いため、清潔で分かりやすい日本にどっぷり浸かった自分には挑戦する気概がない・・・。アジア各地を旅するような覚悟は私にはないなと読めば読むほど思う。まっすぐな人は、現地に行ってなにか活動するようなこともあるのだろうが、できない人間は「なんとかしないといけない」とか生半可なことは言ってはいけない気がする。それ以前に旅する(正直にいうと観光ですら億劫ではある)ことすらできないから、本当に狭い日本人だなと思うけれど仕方がない。こういう世界を見てきた人の本で読むだけで許していただきたい。

 第七章 神の子らの家 (インドⅠ)
 第八章 雨が私を眠らせる (カトマンズからの手紙)
 第九章 死の匂い  (インドⅡ)
 第十章 峠を越える (シルクロードⅠ) ←パキスタンからアフガニスタンへ
 第十一章 柘榴と葡萄 (シルクロードⅡ)←カブールからテヘランへ
 第十二章 ペルシャの風 (シルクロードⅢ)

 中学生のときに「深夜特急1」を読んだことがあり、もう内容は忘れているだろうけれど、続きということで「2」を手に取った。ただ、ハードカバーの「2」は文庫の「3」と「4」に当たるため、「シンガポール」編を読んでいないことが分かった。今度もう一度「1」から読みたい。
2008.10
20
(Mon)

「お腹召しませ」 

がんばる江戸のサラリーマン=「武士」
 

浅田 次郎
Amazonランキング:597位
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 幕末の維新の時代の武士たちを描いた短編集。
長く続く中で形骸化してしまった「武士」という存在。借金に苦しみ、かの関が原のときのような合戦にも出たことはなく、おまけに将軍は政を明けわたしてしまう。色々な武士が自分なりの武士の姿で生きていこうとする様子が描かれている。
 おもしろいのが、短編の前後に作者の語りが入っているところである。作者は昭和26年に生まれ、祖父に育てられ、非常に貧しい幼少期を過ごしたようである。江戸っ子の祖父はそのまた祖父などから聞き及んだ江戸の武士の話を聞かせていたという。私たちの世代になると江戸はおろか、戦争中の話しを又聞きすることすらままならない。江戸が少し手に届く時代だったというのは、とても新鮮に感じる。その、江戸時代話を種に膨らませていく過程と、話の終了後のつぶやきが面白い。
 武士という、今で言う、サラリーマンのお父さん達の、悲しくも面白い短編が揃っています。

「お腹召しませ」
 娘婿が横領をして遁走してしまった高津又兵衛。四方に手をつくすも打つ手はなく、お家が取り潰しになるか、自害するかの道しか残っていなかった。腹を切る覚悟を決めるも、哀しいことに親戚も、妻も、娘も「お腹召しませ」と執拗に又兵衛に自害を勧めてくるではないか。すでに腹を切る武士なんてものは何処にもいなくなったこの頃。本当に又兵衛は武士として腹を切るのか・・・!?

「大手三之御門御与力様失踪事件之顛末」
 話は自由を奪う携帯電話へのぼやきから始まる。メールに電話、お構いなしにかかってきて煩わしく、かといって出なければ余計な詮索を受けてややこしくなるだけである。あるだけ余計なコミュニケーションも増えるものだ。いっそ「神隠し」あうしかない、と思いつかれた話。
御百人組の詰所から横山四郎次郎が忽然と姿を消し、数日後に記憶をなくした状態で戻ってきた。長い仲である長尾小源太はこの失踪が天狗による神隠しではないと見抜き、四郎次郎を問いただすと・・・?江戸のサラリーマンの滑稽話。

「安芸守様御難事」
 いろいろ複雑な縁をかいくぐって「安芸守」として殿様になってしまった浅野。殿様として行う様々なことが説明のないまま進められてストレスを感じている。特に縁から籠に全速力で走る練習させられている「斜籠の儀」が何であるのか、誰もが口をつぐんで教えてくれない。どのようなよくない儀式だというのか不安を募らせる・・・。
 これは実在した殿様で、後に明治になって彼が活躍した史実があるということだ。

「女敵討」
  卒業名簿の物故者一覧から「貞」の字を使用した名前が消えたことを発端にした話。
 貞次郎は江戸に2年余りも「単身赴任」している。こっそり江戸の女との間に子をなしていたが、ある日、故郷に残してきた妻が不貞を働いているとの知らせが入る。不貞の場を押さえれば、両人とも切り捨ててよいという厳しい時代。貞次郎は意を決して屋敷へ戻り、ちょうど逢引していた妻と愛人と対峙する・・・。 今で言う中学生くらいで初対面の女子と結婚し、夫婦ではあるが、その絆はむしろ「兄と妹」といった哀しさが産んだどこか悲しく優しい話。

「江戸残念考」
 260年の徳川幕府が大政奉還をし、新しい時代と勢力がだんだんと入り込んできて、自分達の運命がどうなるのか分からない、以前と変わらないけれどどこか不安な江戸の町。浅田次郎左衛門(笑)は、出陣を今か今かと待っていたが、当の慶喜公は戦を放棄したも同然。町には失望と「残念」「無念」の言葉と溜息ばかりが溢れている。「脱走」が相次ぐ中、次郎左衛門が下した武士としての決断は・・?
 戊辰戦争の「上野戦争」をモチーフにした作品。脱走は旧幕府軍の有志として出陣することのよう。ちょうど「憑神」という作品も同じ舞台ですね。

「御鷹狩」
 武士として生まれたのに維新が起こり、その階級の意味がなくなった若者たち。彼らが出た行動は、新政府についた人間らに体を売る遊女を襲い、切り捨てるという暴挙だった。
 高度経済成長期に、貧しかった学生達が政治や思想に青春のたまった欲望を発散させていたように、武士の若者の姿を描いたというこの作品。なるほど、今は豊かだから、有志で集まり、政治やら暴力で発散させることはないということだったか。
2008.10
20
(Mon)

「千年樹」「押入れのちよ」 


荻原 浩
Amazonランキング:182160位
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荻原 浩
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 荻原浩さんの本で、図書館で借りました。「押入れのちよ」は以前に読んで紹介しそびれていましたので、一気に2冊紹介。どちらも、ちょっとホラーな短編集。

「千年樹」
 太古(平安時代くらいか?)に追っ手に追われて山に入った親子。母が死に、父が死に、最後に残った幼子も餓死してしまった。その子どもが口にしていた楠の実がやがて大きくなり大木になる。 その樹の元で、とある中学生がいじめを苦に自殺しようとしている。そこにザンバラ頭の男の子がふ・・と現れ・・・。
 この楠の大木の周りで起こる、様々な時代でいろいろな人間模様が描かれている。現代と過去が微妙にリンクしており、また、現代の人物は各編で成長しながら登場する形。「戦前に情死しようとした女と、死んだ恋人を待ち続ける現代の大学生」「空襲で木の下で命を落とした少年と、少年の残した宝物を見つける保育園児たち」「切腹を迫られる武士と、人殺しを迫られる暴力団の卵」など対比しており、ラストはこの樹の最後を描いている。 冒頭の、無念の死を遂げた幼子が死を呼び寄せているような雰囲気があり、ちょっと怖い話だった。

 「押入れのちよ」
こちらも、少し怖い話。表題作は、ぼろアパートに住んだ若者のもとに、無邪気なちよという幽霊の女の子が現れる話で、ちよがかわいらしいため、どちらかというといい話だった。他の話は覚えていないけれど、怖い要素がありつつ、切ない話だったように記憶している。

 萩原浩さんといえば「オロロ畑でつかまえて 」や渡辺謙主演の「明日の記憶」の著者。たまたま読んだ2冊がどちらもホラー系だったのには驚きである。
2008.10
16
(Thu)

「青空感傷ツアー」 

若い女の子二人の傷心ツアー


柴崎 友香
Amazonランキング:571571位
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 3年勤めた会社を辞めた芽衣は、絶世の美女で我侭の女王様・21歳の音生(ねう)と再会する。音生は彼氏が浮気したことに憤慨しており、芽衣は一緒に旅行に行こうと誘われる。イケメンや美しい人に弱い芽衣はついつい流され・・・大阪~トルコ~徳島~石垣島という仰天傷心ツアーが幕を開ける。
 芽衣は、基本真面目なのだけれども、25、6歳の割りに現実が見えていないというか、不満はたくさんだけど自分の考えがない、色々流されるままに動いてしまう女の子。一方音生は、美しいわりに男運がなく、気が強く強引で、人をぐいぐい巻き込んでいくタイプ。まったく違うタイプの二人が予定もなく、後先考えず、喧嘩したりしながら旅をしていく。ただそれだけの話である。

 関西弁で続いていく会話が特徴の柴崎さんの作品。「地の文」も当然あるけれど、漫画のようにずっと女の子の会話だけを読んでいた気分になる。ただそれだけで、特に得られるものがあるわけではないけれど、他の「なんでもない日常」を書いた小説とはなにかが違う気がする。
 何が違うんだといわれたら難しいけれど・・・!
 若いっていうのがいいのかもしれない。「アラサー・アラフォー」あたりの結婚か・不倫か・仕事か・・・みたいな倦んだ日常ではなくて、若くて、なんにも手にしてないけど、さらさらと流れて過ぎていくひとときが、なんだかいいのだと思う。
2008.10
11
(Sat)

「トウキョウソナタ」 

とある家族の破壊と再生を描いた映画の小説版。



 朝の情報番組で、「トウキョウソナタ」の番組宣伝を見た。香川照之と小泉京子が出ていて、家族が崩壊と再生する話のようだった。地味な部類の映画である。その日、仕事中に立ち寄った書店で「トウキョウソナタ」の小説本を発見した。小説から映画化されたわけではなく、映画の脚本を元に作られた小説だった。劇中写真が掲載されているため価格が高い。映画は見たいと思っても、DVDレンタル化される間に見たい気持ちと記憶をなくしてしまうので、本でよんでしまうことにした。

 舞台は佐々木家。竜平はタニタの総務部で真面目に働いてきた。しかし突然リストラを言い渡される。家族にいえぬまま、職安ではプライドを捨てきれず、公園をぶらつき、浮浪者の炊き出しに並んだりしている。
恵美は、趣味がお菓子作りの主婦である。家族のことを思っているが、なかなかみんなそっけなくて、本音が見えない。
貴は大学生で、つまらない毎日を過ごす中、突然舞い込んだ米軍入隊の応募。それが現状打開の術と思い、家族に内緒で申し込み、合格する。
健二は周囲に敏感な小学生。飄々としたものいいから担任と思わぬところで対立関係に。父に頑として習わせてもらえなかったピアノを、給食費を使い密かにレッスンに通う。実は天才的な素質を持つことが後に分かる。

 みんなそれぞれナイショの秘密がある。それがテーマの話しであるが、仰々しい秘密を隠し持っているわけではない。それは打ち明けられないこと、反発と嘘、気づいていなかった不満や寂しさ。そのようなものである。
 それがぽろぽろと表面化し、お互いが自分の思いのたけをぶつけ、一度壊れる。家族として一緒に住んでいても所詮他人なのだ。分かり合えない。 そんな破滅の危機が佐々木家に訪れるが、皆、戻る場所はやはり家しかないのである。お互い照れくさそうに戻り、歩み寄ってもう一度やり直す。そんな優しい話だった。
 
 ありがちの筋といえばおしまいだけど・・・、きっと映画で見たらいい俳優さんが出ているので、かなりいい雰囲気がしそう。本は小説としてだけ読むと、視点がころころ変わって流れがぶつ切りなのでちょっと変かもしれない。だいいち、本では、健二が弾くピアノを聴くことができない。映画を覚えていたら、一度見てみたいと思う。
2008.10
05
(Sun)

「ラットマン」 

 みんな違うものの見方をしている。その当たり前が起こした悲劇。

道尾 秀介
Amazonランキング:99166位
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 誤解から生じた苦悩をミステリ仕立てで描いた1作。新聞広告で見て読みたいと思っていた本で、図書館で借りました。広告になんと書いてあったかは覚えておりません。

 結成14年目のアマチュアバンドがとあるスタジオに集まっている。そこで、元バンドメンバーのひかりが、倉庫でアンプの下敷きになって死んでいるのが発見される。
 この物語の中心はメンバーの姫川という男である。彼は元ドラムのひかりと高校生のときから交際しているが、結婚する気はなく、堕胎の選択をしようと重苦しい雰囲気であった。また、姫川は、ひかりの妹で、現在のドラム担当の桂が密かに気になっている。ひかりが死ぬ直前、姫川は不審な行動に出る。
 彼は折に触れて、過去の禍々しいできごとを思い出している。余命いくばくかの父親、疲弊しいらだつ母親、そして姉。彼が幼い頃に父親は死んだが、その直前に小3の姉が死んだようである。それも、不審な事故で。そこから母親は完全に心を閉ざしてしまい、姫川は哀しい子供時代をすごしてきた。なぜ姉が死んだのか、幼い記憶を元に姫川はとある結論を導き出している。
 ひかりが事故死ではない証拠は発見されるのか、姫川の過去の記憶の真相はなんなのか・・・?
 
 ある人が見るとねずみに、別の人がみるとおっさんに見えるラットマンの絵のように、物事は人それぞれのストーリーごとに違って見えている。それは当たり前のことで、事件の解釈も当然そうなる。
 ただ、その解釈の違いがにより、互いに不信感・疑いを抱いた事実はぬぐいさることができない。姫川のように23年もの間、母親との間に深い谷ができるようなことも起こりうる。

 この話は、簡単な話に見えて、登場人物各々が違った見解を持っているがために、私もも間違った検討をつけて読んでしまいます。それがラストに近づくにつれてぱらりぱらりとめくれていくように真相がわかっては勘違いし、また真相が分かる・・・と真実が発覚していくおもしろさがあります。是非読んでみてください。

 
2008.10
01
(Wed)

「陰陽師 瀧夜叉姫」 

陰陽師シリーズ8弾!平安の世を揺るがした「あの武将」が蘇る!?

陰陽師瀧夜叉姫 下 (3) (文春文庫 ゆ 2-18)


 夢枕獏さん「陰陽師」シリーズの第8巻の「瀧夜叉姫」。
 安倍晴明と源博雅の二人のやりとりがたまらなく好きで、ずっと読んできたが8巻も出ているのかと驚きだ。飄々とした晴明と、優しいいい漢である博雅の同性愛かと見まがうほどの(笑)友情。ふたりが「ほろほろと」酒を飲み、自然や人の世を考える場面。巧みな方術で事件を解決していくおもしろさ。平安時代という雅なのに闇を持ち合わせているという時代の描き方。すべてがいい!

 「瀧夜叉姫」は、シリーズに珍しく長編である。
 都では不穏な事件が相次いでいる。ものを盗らずに去っていった妖しい女の盗賊が、昔活躍した貴族や、豪腕で名の知られた俵藤太という男の屋敷に現れた。また、あいついで孕み女が腹をひきさかれて惨殺される事件も起こっていた。
 そんな中、晴明は賀茂保憲に、平貞盛という男に会うように頼まれる。晴明は例のごとく博雅と向かうのであるが、貞盛の顔には不気味な瘡が広がり、挙句に、顔が現れて別の人格がしゃべるという異様な状態であった。晴明は、この病の原因を探っていくのであるが、都に起こる様々な事件とあわせて、「ある人物」が関係していることに気がつく。そして、死んだ「ある人物」を蘇らせ、都をひっくりかえす事態を引き起こそうとする陰謀にたどり着くのである。

 冒頭で、幼い晴明や、道萬が出会った、人間の体の一部を集めている妖しい百鬼夜行や、詳しく説明される様々な人物がやがて、物語の重要なシーンであることが分かってくる。
 歴史上の有名な武将たちの史実を上手い具合に絡ませて作られたストーリーが、スリリングで面白い。今回の晴明は、大技を繰り出すわけではなく、地味な方術や機転を組み合わせ事態を好転させていく。ただ事態がおもしろくなればと茶々を入れる道萬が、ちょっとピンチになったりする。たくさんの人が出てきて、色々な役割を果たしていくのもまた面白い。
 下巻では、復活した「武将」が己を取り戻していく最後のくだりや、真の黒幕が分かってくる。なかなか壮絶で切ない話だった。


 平安に現れる鬼たちや、晴明たち陰陽師が繰り出す術もおもしろいけれど、酒を飲みながら人や世界について、知らず知らずに「呪」に触れてしまう博雅と晴明の会話もおもしろい。
わざとらしいといえばそうかもしれないけれど、世の中も神も鬼も人の心が作っているのだという考え方が、当たり前だけど気づかないから新鮮でおもしろいと思う。こういう話は哲学になるのか、宗教になるのか・・・。気になるなぁ。すごいぞ博雅。

「桜が桜であるがごとくに、博雅は博雅のごとくにありたいと、そういったではないか」
「言ったか」
「言った」
「しかし、何故、それがおもしろいことなのだ晴明」
「人は、なかなか、今おまえが言うたごとくには生きられぬ」
「うむ」
「誰ぞを手本とし、その誰ぞのように生きようとすることはあっても、
 己のごとくに生きようとは、人は思うたりはせぬものだ」  (58頁)

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4040です*
最近のお気に入りは、梨木香歩さん、森博嗣さん、伊坂幸太朗さんです。
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