「村田エフェンディ滞土録」
明治時代は1899年。留学生としてトルコの首都イスタンブールに渡った村田君の出会った、異国の文化・歴史・宗教・人々の記録。国とは、世界の人のつながりとはを考えさせられる、不思議な1冊。
「エフェンディ」とは「学士様」という敬称で、おそらく、弁護士などに「先生」とつけて読んだりするのと同じようなものでしょう。明治時代、日本が海外からなんとか完全支配を免れ、列強に入ろうと努力し、英国などの大国が盛んに海外侵略を企てていた時代。
村田君は、国家の友好のために、トルコの歴史と文化を学ぶ留学の機会を得た。彼は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミィトリス、トルコ人で使用人(奴隷)のムハンマドらの暮らす、英国人のディクソン婦人の家に下宿している。
国境と人種、宗教の壁を越えて、互いを理解したり、時には非難・反発したりしながら暮らしていく様が淡々と描かれている。「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったのだな」「友よ」などと叫ぶ、鸚鵡がおり、大抵は疎まれているが、その叫びが争いの場を馬鹿馬鹿しいものに変えたり、妙にマッチしたものを叫んで皆をどきりとさせたりする。
最初は日本人が世界のことを知っていく、もしくは外国人が日本を知っていくこと、トルコの文化を読むことがおもしろかった。しかし、だんだんとトルコが英国の支配から逃れようとあがきだしていく不穏な雲行きが出てきて、非常に切ない終わりに向かっていく。個々人でならば通い合えるのに、国という大きな船に乗ってしまえば、敵ともなり逆らうことができない。トルコを離れ、残してきた友人達が今は敵同士として戦わざるをえない。その悲しみにくれ、国とは一体なんなのだ、と叫ぶ村田がとても切なかった。明治の昔も、今も、この問いかけはきえていないのが哀しい。 トルコという異国が舞台ではあるけれど、どこか「日本」を感じることができる不思議な話だった。「家守奇譚」「からくりからくさ」で、梨木さんはとても「和」を感じる本を書く人だと思っていたけれど、舞台が畳の香る日本ではなくても、なぜか日本独特の湿っぽい雰囲気を感じられるのがよかった。稲荷などの日本の神が、遺物あふれる部屋で、エジプトなどの神々とさわぐというような場面が幻想的でいい。
この村田エフェンディですが、「家守奇譚」にも出てきた人物。綿貫、そして高堂の友人なのです。微妙につながっているというのが、なんだかうれしい。「家守奇譚」を買って、もう一度読みたいなと思います。
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